本屋で平積みされていた重松清作品の「熱球」を買い、あっという間に読んでしまいました。読んでいて涙が出そうになってしまい30代後半から40代の男性読者にとってはきっと感動できる本ではないかとおもいました。
多分、高校、大学生が読んでも、他人事に感じだからどうしたのと思うかもしれませんが、結婚し、子供ができて、親の介護や子の教育、仕事上の悩みなど何らかの問題を抱える年代の読者が読んだ方が、大きな共感を感じることが出来るように思う。
まあ、これは他の重松さんの作品も同様なのですが。
主人公のヨージは20年ぶりに一人娘と二人で故郷に帰るところから始まります。
そして、地元で暮らす友人と故郷から逃げるように都会に出て変わってしまった主人公との微妙な距離感。主人公の父親の介護か都会育ちの妻と娘を選択するかという葛藤。いろいろな葛藤が織り交ぜられている点は重松清作品らしいところです。
そして最後は解決とはいかないまでも、登場人物がそれぞれ、新たな一歩を踏み出したところで終わる点も重松作品らしい。後は読者の想像にお任せという点も重松作品の定番のエンディングです。
この作品の隠し味としては、殆ど思い出話の中にしか登場しないいザワ爺なのかもしれない。ザワ爺の「ようがんばった、ようがんばった」の言葉が本作品のキーワードかもと思いました。
高校野球は優勝校を除いてみんな負けを経験します。負けても胸を張れというところがポイントです。
重松作品の『小さき者へ』に収められている『3月行進曲』の中にも
どの学校だって、どの選手だって、みんな勝ちたいのに、勝つために厳しい練習をつづけてきて、勝ちたいから必死になってボールを追いかけるのに・・・それでも負ける。
(中略)
この場にはいない何万人もの選手たちの姿を思い描く。
思いとおりにならないこと。これからもたくさんあるんだぞ、といってやりたかった。
と書かれています。
思い通りにならず負けてしまうことが多い中、「ようがんばった」と励ましてくれるザワ爺の存在は小さくないと思います。
また故郷の父と妻や娘を取るかで葛藤している主人公に対して、妻が優柔不断と非難しますが、後にメールで謝ります。
あなたは優柔不断になったのではなく優しくなったんだ。優しくなったから辛くなる。「優しい」という字は人が憂うと書くんですね。と要約するとこんな感じでメールは書かれていますが、うまいなぁー。
優しいは人が憂うと書くんだよと今度ね飲み屋で使ってみようかななんて思ってしまいました。
このネタを重松さんは、どこから仕入れたかしらと思います。
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